Moon River

もう、6年もお会いしていない。
私は、この曲を聴くと、必ず その方を思い出す。
思い出すというより、その方が 浮かんでくる。

川の流れの傍に、ずっと立っているような大きな木の様で、
強さとやさしさの 心の持ち主。
小さな子供達を そっと小舟にのせて送り出してくれた女性。

この曲が、お店で流れると ふっと 浮かんでくる。
そして、お元気にされているだろうかと 考える。

素晴らしいめぐり会いは、どの人にも ずっと心の中に残る。

神様

つぎは、どんな素晴らしいめぐり会いを、私に用意してくださいますか・・?

モネ

私は、印象派のクロード モネが好き。
特に、ムラサキがかった 睡蓮。

当たり前の、 見える目で見ることや
聞こえる耳で聞くということを 教えてもらう。

起きていることに、すべて意味があるとするならば、広い気持ちで受け止めたいもの

この時期、モネの家の庭には 何が咲き乱れているのだろう。

抱擁、あるいはパンにはバターを!

2014,  2月

何冊もの本を同時進行させて読んでいた。
最後を読むのがもったいないくらい 先に進めない物語。
先が先が知りたくて、あっという間に最後のページを迎えた物語。
逆に、これは、今読むべきではない・・・・と下げてしまった物語と。

これらを読み返す度に、きっと この時期を私は振り返ることが出来る想い出の物語になりそうだ。

そして、2014,    3月

お花屋さんでミモザを買い、活ける。
そして、昨日、紫のマグノリアを活ける。

着々と 春の準備。

冬の朝に

近所の子供たちの通学時間に私も出勤しパンを並べる。
小学一年生のはるちゃんという男の子と、しばしばあいさつを交わす。

というより、見つけては ラッキーとばかりにちょっかいを出したくてわざと、
「おはよう~はるちゃん」  と声をかける。

そしてこの日も、はるちゃんに遭遇。
はるちゃんが調度来るのがわかったので、歩く速度をゆるめ、調度よく出逢うようにした。

「はるちゃん、おはよう~」
「お兄ちゃん後から?」

はるちゃんは 「後から来る」
ゆっくりにっこり、どこか余計なことは言わない寡黙さも漂わせている。
しかも目線も合った様な合わない様なだ。(笑)

「仕事。  がばれよ!」
・・・・・・・・・・・・・・・はるちゃんが言った。(笑)そう はるちゃんが。

たしかに今、「仕事。 がんばれよ!」  って。にこにこして目線合わさず!

(笑)(笑)(笑)

わたしは、笑った!
久々に!
年の始め、丁寧に過ごそうと、どこか緊張していた。
何かがはじけるように映った、映像の様だった。
神様の言葉のようにさへ 感じた。

高さや深さも必要。
でも、そんな目線ではない もっと越えた意識の広がりの必要さ。

さあ、また一年が始まっている。
はるちゃんみたいな 小さな子にも助けてもらいながら、今年も過ごしていこう。
一月の終わり、冬の朝に 感じたこと でした。

クリスマスだから

昨日のこと。

夕方、2階に行くと こんな風に手作りお菓子とクリスマスカードが。
お菓子を焼いたり、販売の仕事も手伝ってくれるスタッフからのクリスマスプレゼントでした。

わたしは、クリスマスプレゼントもカードも 用意していない自分に、余裕のなさを思う。
が、   来年こそはと、 うつむかず未来を。(笑)

わたし、このスタッフにとても幸せを頂いてる。
幸せな人は、自分では知らず知らず幸せを振りまいているようなところがあるのだと思う。
知らず知らず与えた幸せは、やがてまた自分に大きな幸せを引き寄せるのだと予感する。

わたしも、ひろーい心で、持っているものを与えてあげられるような 愛のある人になろう。

「与えよ、さらば与えられん」

クリスマスだから、夜空を見上げてお祈りも。

face book いいね!

一年前の秋、私たちは facebookを始めました。
一年で 100 位のいいね!があったらいいね! って。
11月になって、もしかして300いける?  って、話しました。(笑)

始めた日、 どんな花が咲くかもわからず、土の中に種を埋め込みました。
だけど、なんとなく 正しい気持ちや想いは、そのままになってゆるぎないいいものに
育つようなきがしていました。

300という数字。
まだまだ、face bookを 理解できていないかも、いや理解しないながらも、
応援してくださっている方に 、 本当に感謝しながら 一緒に このお花の行く末を
見守って頂きたく思います。

いいね!て いい言葉かも。

ヘミングウェーの言葉

「もし幸運にも、若者の頃、 パリで暮らすことができたなら、
その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる」

米国の文豪アーネスト・ヘミングウェーの言葉。
私にも、僅か半年ほどのパリでの暮らしが、へミングウェーの言葉を理解させる。

どこで過ごそうとも。
今、私は東京目黒に住んでいる。
セーヌ川ならぬ、細い目黒川を眺め
リュクサンブルグ公園ならぬ こじんまりとした中目黒公園を犬と散歩し
もちろんエッフェル塔ではなく  スカイツリーを遠くに感じた生活だ。

しかし、毎朝 パリのマルシェに並ぶ野菜や、果物の様に パンを並べる。
焼き立てのクロワッサンの香りの中で・・・。
これは、6年間変わらない風景。
変わらないで過ごせる 、
変わらない風景がある 、ってことは、パリの街なみの様に
大切なものを守ってるって ことなのかもしれない。

へミングウェーに会うことが出来たならば、目黒のクロワッサン、カフェオレと一緒に食べて欲しいかも・・・

オギノさん

オギノさんちの柿。
置き手紙と一緒に。
オギノさんは、3月に入ったばかりのお昼寝の大好きなスタッフ。
妊婦さんのため、今月末で終わりになる。

誰もが、突っ込みをいれたくなる ・・・癒し系のタイプ。
妊婦さんだからなのか、もともとなのか今となっては、区別できないくらい ゆっくりだ。(笑)
お客様にレシートをお渡しする時も、いちおは、渡す素振りをしながらも  ゆっくりと
「いらないですよね~」  と 何故か あきらめがちに、そして 控えめ に言う。
お客様も、 この不思議な感覚にやられてしまうのか、 「じゃあ、いちお」と言って
手を伸ばして 笑いながら受け取ってくれるのだ。
ついつい笑ってしまう やさしい幸せな時間が ジャンティーユにはありました。
起用なスタッフも、仕事のできるスタッフも必要。
でも、そうでなくても 肩に力を入れることなくとも
ふわっとみんなを笑顔にさせる事ができるスタッフも 素晴らしいと 思いました。
オギノさんの培ってきたこの雰囲気は、誰にもまねできないオギノさんの宝物。

1月にはオギノジュニアに対面できるのだから、私たちも 楽しみ。
ほかの誰でもなく オギノさんを選んでくる まだ見ぬ赤ちゃん。

オギノさんちの柿・・・・・オギノさんの置き手紙に書いてあった以上に 甘くておいしかったです。

すべてを引き受けた女

私、パリで生活されている 雨宮塔子さんの文章や、心意気が大好きで
出されている本は、全て読んでいる。
今回の  パリのmatureな女たち も、目に見えるような素晴らしい文章力で
一気に読み欲してしまったという 印象。

読んだ後、残ったのは 全てを引き受けた女 だ。

私も40代になり、いろいろな年回りがあるにしても、  このことの重要性をすごく感じている。
「 すべてを 引き受ける  」 ということ。

それには、器の度量と、乗り越える力量と。
そして、それでも女性としての やさしさや、品の様なものを忘れてはならないということ。
全てを理解したうえで、納得するだけのことを まず、やってみる。
それでも、なにか起きるならば  「あり得ることよ」 と笑ってみせる。

maturite  成熟、分別

私も、笑って言ってみたい!

お休みの日に

お休みの日に 、 お店の2階に入ると
あの時の 匂いがある。

お店をリニューアルしてる時の 匂いだ。
6年前の匂い。
足の踏む場所も、確認しながら設計士さんと歩き、
角材、ペンキ、釘、板、のこぎり・・・の散乱している時の  あの感じ。

一切、食材の匂い、香りはしない。
甘いお砂糖の匂いも、バターの匂いも 、焼き立ての匂いも香りも。
まるでない。

私にとっては、思い出せて うれしい 、すごく気の引き締まる匂いなのだ。

夏がゆっくり終わり、秋がゆっくり訪れる頃。
また、記念日がくる。

あの時、どんなパン屋さんでいたいとか、いようとか、思っていたんだろうか・・無我夢中で思い出せないけれど。

今は、日常にあって、さりげなく 日常の一部で、閉まっていたら、なんとなく 淋しい。
普段、そこが開いているのが、そこに行くことが当たり前で、閉まっていたら、本当淋しく感じられ。
長いお休み明けには、待ってましたとばかりに、どっと押し寄せて頂ける ・・・そんなパン屋さんでいたいと思うのです。

支配もしないし、支配もされないけれど 、そこがいいとお互い思える  鶯と鳥籠の関係とでもいうような。

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