ゆかいな仲間たち

何年か経った、たしかに
久しぶりのCafé 再開。
この何年か、振り返っている暇などないくらいに、忙しかった。
でも、ずっと 自分の在り方について 考えていたのだと思う。
それが 少しずつ 少しずつ 荷物を減らすことで、見えてきたのだと思う。
自分以外の者に真剣に向き合い、働きかけることで 衝撃的に 自分らしさに出会い
仲間の痛みや弱さ、自分自身、不必要なもの などを見つめることで 見つけたのだと思う。
原点 から 生れる 古くて新しい自分。

10月のおわり、2階でカフェが始まり、お客様が入ってくれるか心配してくれたのは
自分よりも スタッフである仲間たちであった。
お友達や、親族、近しいかたに 呼びかけてくれたのだ。
はじめて、私は 心配されていることを そこで実感した。
いつもは 逆だった。スタッフの個人的なことがあれば、無償の愛でかけつけている。
でも、その 逆は 本当に 久しぶりなのか 初めてなのか こういう事かあ と(恵)を
感じた。
自分住処に守られる 喜びだった。

 

春から秋にかけての 恵比寿三越の毎週金曜日の販売についても このゆかいな仲間たちのお陰で
大成功に終わることができた。
挑戦してみて 本当に良かったと思う、。
ゆかいな仲間たち   永遠はない。
来年になると卒業シーズンがあり、新しい仲間を受け入れ引き継ぐ。
そんな流れの中でも、就職し働き始めた学生だった仲間が 時に顔をみせてくれたりすると、
嬉しい。「聞いてくださいよー」と近況報告を話してくれたりすると、この先も、かなり先も
見守りたくなる。

この一年は、このゆかいな仲間たちに 助けられながら 過ごせたのだと感謝したい。
平和であり
静寂であり
そういう事が 日々大切。
来年も ゆかいな仲間がふえますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬のパリが教えてくれたこと

 

年末パリに行って来ました。
冬のパリ、demoは なぜか休み中。
静かで、穏やかで、セーヌ川沿いのホテルからみる オレンジ色の灯りが
本当にやさしく、あったかく わしたちを迎えてくれました。
若い時のパリは 子供で精いっぱいで、よくパリの地図もわかっていなかった。
きっとわかっていないながらも、ヘミングウィが言うように「その後の人生にパリがついてきていた」
「幸運にも 若者の頃 パリで過ごすことができたからだ。」

自分達の歴史の確認であった。
これからも、パンを焼いていくための 何者であるかを、何者であったかを 確認するための旅のようでもあった。
変わらないパリは、わたしたちの 変わってはいけない部分を応援し、
変わったかのように見えるパリは、 わたしたちが 古いものをどんどん捨てながら前に進むってことを願っているかのようだった。

冬のパリ
本当に旅ができて、良かったと思っている。

秋なのだ

夏がようやく終わったのだと 実感する。
忙しくしているのと いつまでも異常気象がつづくせいで わかりずらい境界線。
夏と冬の間に 秋が おかれている。
だから少しだけ中途半端なのだと 小田さんも歌っている。

その秋に 今年も大学生のアルバイトの子たちの就活が終わる。
最後に決まったのは医療関係の学生。
声低めの 礼儀正しい 体育会系?と思わせる女の子。
なんともかわいい子で、ものまねしたくなる。
来年には、大学生3人のお見送り。

岐路に立つ子供たちのその瞬間に 一緒に過ごせたことに 感謝します。

 

I’ts your turn!

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目黒川の桜、今週、来週、その来週、3週にわたり楽しめそう。

目黒の住人は、早朝、まだ 誰もいない時間 こっそり楽しんでいる目黒川の桜。
誰のものでもない ピンクの絨毯。
川の水面に浮かぶ 花びら。
春は静と 動が入り混じる。
冬の古い時代は、すでに過ぎ去って 新しい時代は始まっている。

 

少しずつ目の当たりにする。

siawase

 

 

幸せですか?

と、問われるなら 間違いなく 幸せです と答えたい。
就活を迎える大学生がスタッフに3人いる。
これから自分たちのどうなるかわからない未知の未来の予定と
先々のスタッフのシフトと 照らし合わせ心配を口にする。
3人が出れなくなったら どうなるんだろうと 思って、お互いの
予定を 私よりも確認しあっているようだった。

幸せとは こういうことを言うのだと思う。
決して、先延ばしするものではなく 今の自分が自ら作りあげていくもの。
感謝の念を示し、楽観的であろうとし、優しさや、思いやりをもって人に接する。
周りの人と、愛情深い関係を育み、有意義な目標に向かって努力する。
そして、小さなことに、人生の喜びを味わう。

右往左往することなく、 私は この大学生を見守りたい。

幸せですか?と問われたら (笑)
幸せ と答えます。

fight song

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Like small boat on the ocean
sending big waves into motion
Like how a single word
can make  a heat open
I might only  have  one match
But I can make  an explosion

And all those things I didn’t say
Wrecking ball in side  my brain
I will scream them  loud tonight
can you hear my voice?
This time this is my fight song
take-back-my-life song
Prove I’m a alright song
My power’s turned on
starting right now I’ll be strong
I’ll play my fight song
And I don’t really care if nobady else believes

Like small boat on the ocean
sending  big waves into motion
Like how a single word
Can make a heart open
I might only have  one macht
But I can make an explosion

 

そう、歌ったあとに、
「君の全てがいいね、
説明するのは難しいけれど、歩いて入って来た時に今の感じを持っていた。
君の魂、歌のチョイス、 君の声、  君は特別だと思うよ。
君には 信じられない感覚を感じたよ、本当に。
このあと、素晴らしいいことが 起こると思うよ」

そう言って サイモンは ゴールデンブザーを鳴らした。

 

私も そろそろ、サイモンに ゴールデンブザーを 鳴らされたいのだ!!

 

10e’me anniversarie

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2017,  9  月  ジャンティーユは10年を迎える。
その春 新しいものの前に、古きものが遺物となり 意識の成長と
広がりが 何の制限もなく起こることに期待しよう。

星月夜

これで本当にお見送り。
パン屋をはじめて、8回目の春。
数々のスタッフとの出会いとお別れがある中で、この春3人の学生をお見送りする。
淋しくもあり、旅立ちを見送れる事に幸せも感じる。
彼女たちの、特にこの一年間においては意識の中にひっそりと、芽がふき始める瞬間を各自の、
それぞれのタイミングにおいて見ることができた。
見守りながら それに気づけたことは良かったと思っている。
見守ること。
それが私にとって、必要な学びだったと思っている。

ゴッホの「星月夜」という絵がある。
印象派後期の画家 ゴッホ。
精神病院に入院していた頃の1枚だというのだが、 私にはとても楽しくなる様な冬の夜空に感じる。

本当は 冬 ではないかもしれないけど。

星の輝きを、地図の上の 点と点、出発地点と目的地点と重ね合わせ、まるで明日はあそこまで行ってみよう
と夜空という地図を広げていたのではないか と思うような楽しさを感じる。
暗さなど、私には微塵も感じれない。
むしろゴッホの、深い深い心の奥底に鼓舞するものを感じるのだ。
星空の世界を豊穣な空想でうめつくしていて、特に北斎の影響と思われる渦巻き雲も楽しく、
孤独ではあったかもしれないけれど、きっとこの絵に心を満たしていたような気がする。
本人が感動しなければ、後世にまで この感動は続かないと思うのだ。

2016、冬。
春を目の前にして、この星月夜をみて、あったかいお店の中にいられることを幸せに思う。
学生だった3人の未来が、星の輝きの様に明るいものであって欲しいと願います。

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印象派と振り返る2015

春  ギュスターブ・カイユボットの絵のように、床を磨きたいとの気持ちが強かった。
実際のカイユボットの絵は、「床の鉋かけ」であり、男性3人が上半身裸で、筋肉剥きだしで
床削りをしている絵だ。その絵が、頭の中にいつもあり、私はモップをもっていた。
古くなっていく、朽ちていくのとは違い汚れていく床が、とても許せなかった。
きっと、それだけではなくて、今までの全体の汚れ、私自身の中にも堆積していたものを
削るように、とってしまいたかったのだ思う。そんな春の「床のモップかけ」

夏  雨の多かった夏。
「パリの通り・雨」  これもカイユボットの絵。
雨に濡れた石畳・・気持ちをぐんと 落ち着かせてくれたように思う。
大学生3人の就活を見守りながら、私自身も意識の流れの真中にあるものを、今までと変えて
みようと試みた。二度と同じ失敗をしたくないと思ったからだ。
状況にコントロールされるのではなく、
状況をコントロールできるようにしようと、
カイユボットの絵の構成のように、奥行きと広がりの空間構成をイメージした夏。
「目黒の通り・雨」 黒い大きな傘はとっても安心するもの。

秋  上野で行われたクロード・モネ展へ。
20年ぶりの「印象・日の出」 と再会。
昔にはわからなかったモネの考えや手法。ブータンに見出され絵を描き始めた少年が、
青年になって再び、故郷に戻ってルアーブルの港のホテルから見たであろう 日の出。
私の秋も、そこに居合わせ、瞬間的に筆を持ち はしらせたような臨場感あふれる
そんな一日がありました。大気の揺らぎや刻々と変化する海面と、そこに反射する陽の移ろい。
それらを、全て感じ見守ったと いう日がありました。
モネは、印象を描く前にイギリスの画家ターナーの「ノラム城の日の出」に強い影響を受けていたそうです。
私自身記憶の中にも同じ様な 「ノラム城の日の出」があったから見守れたのかも知れません。

冬   冬がはじまり,これからどんな絵をイメージしていくのか 楽しみです。

フランスの印象派の画家ギュスターブカイユボットも 、クロードモネも、私からみてとても豊かな人
というイメージがあります。
豊かさとは、同時に暖かさや ゆとりや、やさしさ をも含まれている気がします。
私の憧れです。
唐突な振り返りではありましたが、季節ごとにまとめてみました。
美術も芸術も料理もパンも、人のつくるものです。
どんな人物が、どんな時代に、どんな気持ちで って考えると、偉大な人も、とっても身近です。

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太陽と北風

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太陽と北風のお話
旅人の上着を脱がせようと、太陽と北風の勝負!
北風が力いっぱい冷たい風を旅人に吹く。
旅人は、冷たい北風から上着が脱げないように必死につかんでいる。
今度は太陽の番。
やさしい、あたたかい陽のひかり。
とうとう旅人は汗をかきながら 上着を脱いでしまう。

力比べは、太陽の勝ち!
強引で力づくよりも、相手の気持ちに寄り添いながら。
その方が絶対にやさしい。

きっとそういうことが、一番大事なことだと思う。

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