春よ来い!
春を 待つ間は
泡のような 心細さが
時に 浮上する。
淡いピンクの花びらの絨毯の上を 歩く頃になって、
ようやく 消える泡だと 知りつつも。
今だけの それが
少しだけ 息をひそめる。
春を待つ。
春よ 来い!
早く 会いたい。
春を 待つ間は
泡のような 心細さが
時に 浮上する。
淡いピンクの花びらの絨毯の上を 歩く頃になって、
ようやく 消える泡だと 知りつつも。
今だけの それが
少しだけ 息をひそめる。
春を待つ。
春よ 来い!
早く 会いたい。
お正月があけて、 帰省していたスタッフが 次々にお土産をもって現れる。
なかでも この京都の 和三盆。
箱を開けた瞬間・・・ みんなで えがお になりました。
また 一年 えがお でいられます様に。
「すくすくと 川の流れの ほとりに 植えられた木のように」
聖書にあるこの言葉に 惹かれたのは5年前。
何があっても 動じない強さ と
何かあったら 声をかけれる 柔軟さと やさしさ。
そんな風に 自分なりに 理解した言葉だった。
2011年という 年。
年の始まりを丁寧に過ごそうと、緊張しながら過ごした 1月 2月。
3月 震災。
春を喜べないまま 粛々と過ごす。
4月 5月 6月。
何が起きたのか、これから どうすべきか・・少しづつ理解し、
7月 8月 9月。
変化 と 自分の直感を受け入れ
10月 11月 12月。
そのことを信じて 進んでいこうと過ごしてきた そういう1年だった。
そして なにより やさしい言葉を たくさんかけて頂き、救われることが
数多くあった年。
心ある やさしい言葉は、胸の中の 何かを溶かし 再び やさしい気持にさせた。
その やさしさの連鎖は、やがて大きな幸せと 喜びを生み、やさしい空間をつくるものと
実感したのだった。
gentille やさしい という意。
名前に恥じぬ様、 来年も 「 すくすく 」 と過ごせたら と思っている。
カフェに来られる お客様から パリのお土産を頂く。
ボンマルシェ (デパート)の近くの ひっそりとたたずむ 白い教会。
「奇跡のメダイユ教会」 マリア様のお告げを受け 作られたというメダル。
メダルを手にした人に奇跡が起こるという。
幸せが訪れる という メダル。
何よりも パリで私を思い出してくれる瞬間があったことが うれしい!!
ECHOES という 辻 仁成さんのエッセイを 読み終えたばかり。
夢というのは実現できないから 夢というのであって、
本当に実現したければ 夢と言ってはならない。 と。
私たちスタッフの間で、小さい頃 夢として文集に載せているのは それぞれ何か・・・って
話題になり、とても 楽しいひと時を 過ごしていた。
お花屋さん・ピアニスト・バレリーナ・ニュースキャスター・変人・・・ヘンジン??・翻訳家・・・
それぞれ 現在の自分とは かけ離れているので みんな ついつい笑ってしまう。
私も 小学校の卒業文集には 小説家、作家 と載せていて どんな自分が言ってたのかと恥ずかしくなる。
今は パン屋さん、 パン屋さんになるなんて 夢にも思わなかたこと。
辻さんは 夢の対照 として、「野心」 について こう書かれている。
野心という言葉は悪い意味で言われる場合が多いが、この言葉が出来た古代、
野心は「野に出る心」 で あったはず。
一歩荒野へ踏み出す気持ちが 長い年月を経て悪い言葉になっただけである。 と。
野心を抱えて突き進んでいらっしゃる辻さんの 体験メッセージには 説得力がある。
一方で、若いスタッフのあいだでも、「野心」 という 言葉でいえば、それぞれしっかりと持ち合わせている。
文集に載せた夢は 夢として さておき。
私が 彼女 彼らにできることは、少ないと思うが、
縁あって出会ったのだから 起こることが 起こるよう 応援して いけたらと 思っている。
きっと そうなりたい!なりたい! と 口にしていくことも 大事なんだと。
ECHOSE -木霊- を 読んで思いました。
新しいスタッフが入ったので、教える側のスタッフががんばってくれている。
ありがたいと思って見ている。
中でも、二十歳のスタッフ。
仕事を ちょうど覚えてきて、楽しくお客様ともやりとりできる様になっていたころ
だったので、新たな年上のスタッフにも 敬語を使いながら、自分も教わってきた
ように教えてあげている。
任された責任を 素直に果たす 、その姿を 遠く離れたご両親に伝えたい様な
見せてあげたいような 心情にかられる。
自分の身の回りに起きていることを 素直に吸収し、耳を傾けようとする姿。
そのことが 自分を満たし ごく自然に流れ 花開いているかのような瞬間。
言葉にするには 難しい。
映画監督さんなら 撮りどころだし
写真家さんなら ファインダー越しに 僅か数センチほどの 彼女の成長を見抜ける と思うし。
そんなこが 私の目の前にいるのだ。
ぜひ ここに 書き留めて 保存することにします。
私も 秋の匂いは 大好きだ。
散歩していて、金木犀の花の香から 始まり・・一か月もすると公園の枯れた芝の匂いや
枯れ葉の上を ザクザク歩くと、これまた 秋の匂いが立ち込める。
これは、少しずつ 冬に近づくための 自然界の仕度の匂い 。
目にしても、耳を澄ましても、香っても、味わっても、 心で感じても、
五感で感じて素晴らしいと思える季節だ。
去年の秋で 忘れられないワンシーン。
夜のライトアップされた公園の僅かな階段。
桜の木からは、風のせいなのか 自然の摂理からか
雨のように 意思のように 葉っぱが落ちてくる。
その美しい光景は、まるで 映画のワンシーンのようで いつまでも 忘れられないでいる。
偶然、目の前に開かれた光景だった。
観客は、私だけだった。
良いことも、そうでないことも、人は きっと自分で引き寄せている。
あの静かで 美しい秋の ワンシーンを、今年も 私は 引き寄せたい。
出会うことができるだろうか・・・・。
10月に、元スタッフだった女の子がスタイリストとして、ひとり立ちする。
お祝いにお花 を、送ろうと思っている。
彼女は、いわば羽を休めるために ジャンティーユで働いてくれたのだが
決意新たに、スタイリストとしての道に飛び込み、この度 ひとり立ち。
与えることを 学ぶうちに、受け取ることも学びます” とは、こういう事を
いうのかも知れない。
そういう時間に、 いま 自分自身がいる。
目に見えるものではなく、形あるものでもなく
そういうものを 築いてきたのだと 思うから。
野ばらを 活けてみた。
先週の土曜日のこと。
「東京に来たので、これから伺ってもよろしいですか?」って着信メール。
「まあ! うれしい! 待ってますよ」 って 返信メール。
「お久しぶりです」といって スタッフだった男の子は とてもいい顔をして
大阪から 現れた。
「仕事やめてない?」
「辞めてませんよ」 と言って笑っていた。
就職して3年が経つ。
「~君、 うちでバイトして良かったって思えること・・て何?
参考までに、そして これからの励みに聞きたいんだけど」と、半ば 威圧的に聞く。
「・・・・・」 困ってる。
「ないの?」
「いや・・人ですかね。みんないい人だった と思います!」
3年経った今でも、毎年一度は こうして 大阪から来てくれるということが、何を聞くよりも
答えを物語っている とは思っている。
しかし、こうして彼の口から「人ですかね・・」 って言われると嬉しいものだ。
土曜日の、ものすごい忙しい時間に ふたりでコーヒーを飲みながら近況報告。
変わる景色と 変わらぬ景色について 語り合い、3年の間に成長してることを 感じた。
季節は秋になる。
野ばらを活けて 実感する。